大田区 上池台 歯科 歯医者 森嶋歯科医院

大田区 歯科 歯医者 森嶋歯科医院

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院長紹介

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森嶋歯科医院院長 森嶋 美夫

森嶋歯科医院院長 森嶋 美夫

なるべく歯を抜かず なるべく削らず......
もう患者さんが歯の痛みで苦しむ姿を見たくない。

そんな思いで精一杯治療をいたします。
あなたのホームドクターになり安心、安全、
誠実な医院であり続けるため、
日々、研鑽に励んでいます。
これからも患者様もメンバーも
みんなが来たいと思える医院を目指し
不断の努力をし続けます。


略歴・プロフィール
1958年 栃木県生まれ
1988年 日本大学歯学部大学院(口腔外科学)卒
現在森嶋歯科医院院長、「モンゴル医療団」主務
その他精神的支援および海外医療ボランティア団体多数参加、活動する。
・歯学博士
・インプラント専門医
・カウンセラー
・元歯学部(口腔外科)講師

院長物語 〜 森嶋美夫が歯科医になるまで 〜

1.なぜ歯科医になったのか

私は、最初から歯科医になりたったわけではありません。
高校時代の私は、理系志望で将来の職業を考えた時に人命を救う医者に憧れました。
その当時は、公害問題が深刻で工業関係に携わった方のテレビ番組を見たことがあります。

そこで一生涯携わった職業の思わぬ影響(公害問題)により、今までの人生は何だったかと苦悩する姿に私はああなりたくないものだとの思いを強くしました。

とにかく医療関係に進みたく大学受験をしたところ、学ぶなら東京がいいと言う父の助言で東京の大学に行きました。
両親が教師で歯科関係者が身近にいませんので、全く歯科医に関しての知識はありませんでした。
歯医者嫌いでしたので、痛くなく怒らない先生になろうと漠然と思っていました。
 

2.学生時代

学生時代はラグビーと勉強に明け暮れました。
現日大総長・大塚吉兵衛先生(恐ろしく厳しい先生でした。)が指導していましたので、ラグビーの練習の激しさを勉強のできないことの言い訳にはできませんでした。
とにかくラグビーを通して忍耐力は鍛えられました。

また、歯科医業を理解するために、時間あるときは友人やOBの先生の歯科医院を見学しまくりました
何事も物珍しくて色々見て回りました。
 

3.大学院時代

大学院は4年間で卒業しましたが、前半の2年間は、ひたすら動物実験に専念しなければならず大学病院の診療にたずさわれませんでした。
私が最初に抜いた歯は、人ではなく犬でした。

インプラントなどの口腔外科の実技は動物実験で修練したものです。
患者様の体で修練したものではありません。
後輩が手術に参加するのをうらやましく思ったものです。
その当時、講師でした松本教授(故人)が
「森嶋君、焦るな。患者さんを診療したら解かるから」
と、いっしょに動物実験をしながら励ましてくださいました。

その私が、手術後の患者様の点滴を初めてする時、あまりにも簡単に針が血管を捕らえたことに驚きました。
犬の場合、血管が見えませんし人に比べて弾力があるため血管に針が入りづらいのです。
歯を抜く場合も、犬に比べたら人の抜歯は簡単なことです。

結局私は、4年間の過酷な動物実験で、人の臨床で得られる以上の高度な外科技術を習得していました。
森嶋歯科医院では、その技術が生かされています。

その当時、ある口腔外科学会で動物愛護団体の方から激しい調子で動物実験を非難されたことがあります。
その時は、実験の必要性だけを説明させていただきました。
今は、ほとんどの歯科医師が卒業後患者様の体で練習することに比べて、買主に捨てられた屠殺寸前の犬達で練習して、その後その練習成果を臨床に応用してきたことを恥ずかしいことだと思いません。

また、昼は動物実験と研究、病院での臨床でしたが、夜は一般臨床の見学に明け暮れました。
特に工藤忠男先生には、補綴関係を教えていただき臨床の基礎を作っていただきました。
 

4.口腔外科講師時代

大学院卒業後は、口腔外科に籍を置きながら熱心に臨床に取り組んでいました。
時間がある時は講習会に参加して技術研修にも励みました。

しかし、日本の大学では、病気に焦点を当てる「問診」だけを教えられましたので、病気ばかり診て患者様のお気持ちに少しも配慮しない医療者になってしまいました。
外科技術は一流でも、患者様の心の痛みに気づかずに自己満足的な診療に没頭していました。

そんな人の痛み・悩みに鈍感な私に心の転機が訪れます。
それは、弟の様に思っていた歯科医師の自殺でした。

彼は偶然他大学のラグビー部でしたので、研修会で一緒になった時に近親感を抱き、将来の歯科医療について熱く語り合う仲になりました。
そんな彼の突然の自殺に直面して私自身非常にショックを受けました。

それは、自殺の予兆に全然気づかない自分に対する嫌悪感・彼からなんら相談されなかったことに対する失望感などで、私自身が深刻に悩みました。
そして彼を自殺追いやった要因が明らかになるにつれて、彼の内面的苦悩の軽減を図れなかったことが残念でなりませんでした。
彼の心の状態をいろいろ調べてみて、初めて「燃え尽き症候群」の存在を知りました。

「燃え尽き症候群」を調べることを通して、カンセリングの講習会に参加し、行動科学を本格的に学び始めました。
私が学んだカウンセリング技術は、「ヘルスカウンセリング(宗像 恒次教授、筑波大学健康管理学)と「ロゴテラピー(V.E.フランクル教授、ウィーン大学神経学)」です。

最初はカウンセリングが心理分析に陥りがちになり、病人(病気を持った人間)に焦点を当てる「カウンセリング」がうまく行えず随分苦労しました。

行動科学大会では1995年から2005年まで毎年学会で発表して、他領域の医療関係者の先生達に私の診療システムに関して批評していただきました。
狭い歯科医学領域では独善的技術者になりがちで、己の能力を過信しがちですが、幸運にも他科の先生達と知り合えることを通して広い視野から歯科医療システムを検討できました。
 

5.森嶋歯科医院時代
森嶋歯科医院時代

森嶋歯科医院を開業してからこの10年間で約1万人の患者様に来院して頂きました。

無痛治療を基本に「抜かず・削らず・痛くしない」最善の診療を行ってきましたが、診療のみに生きることへの疑問もありました。

その私が舳松 洋先生の紹介で出会ったのが、春日行雄先生でした。
ンゴルの雪害で難民化した親に捨てられた孤児(ストリート・チルドレン)を救うために、私財をなげうって孤児院(テムジンの友塾)を設立した医者です。

モンゴル医療奉仕団

その春日先生は、シベリヤ抑留のとき医師として病人を庇って銃殺されそうになった経験がありました。
「医者として病人を庇って銃殺されたら本望だよ。」と、当たり前のように話される先生の、少しでもお役にたちたくてモンゴル医療奉仕団に参加しました。

個人的な無償行為ですので、患者様から頂いたお金の一部を海外の恵まれない方のお役に立てさせていただいていました。
 

6.今後は

2014年12月に父が心臓発作で他界しました。
前日まで何ら異常なく毎日一万歩を日課にしていました。
寝たきり高齢者になり介護を受けたくないと生前言っていましたが、子供ながら見事なものだと思います。

私自身は、一生涯好きな臨床に携わって逝きたいと思いますので、健康管理に気を付け始めました。
そこで気づいたことは、食生活の大切さです。
口腔のみならず、食や運動、心の在り方など患者様の健康に寄与できる情報をトータル的に発信していくような歩みをしていきたいと思います。

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